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盛岡地方裁判所 昭和39年(た)1号 判決

被告人 松岡五六

決  定

(再審請求人氏名略)

右の者にかかる暴行、脅迫各被告事件について、盛岡地方裁判所が昭和三八年六月七日言い渡した有罪の確定判決に対し、右の者から、再審の請求があつたので、当裁判所は、検察官および弁護人の意見を聴いた上、次のとおり決定する。

主文

本件再審の請求を棄却する。

理由

(本件再審請求の理由の要旨)

(一)  再審請求人は、昭和三八年六月七日、盛岡地方裁判所において、左記(1)および(2)の暴行、脅迫各被告事件について懲役一年、執行猶予三年(保護観察付)の有罪判決の言渡を受け、同年一〇月三一日控訴棄却の判決、同三九年三月六日上告棄却の決定があり、右有罪判決は確定した。

(1)  再審請求人は、昭和三七年一一月一日午後七時、紫波郡都南村大字東見前四地割一〇番地の二藤沢ヨノ宅において、右ヨノの養父藤沢哲次郎の胸を突いて、暴行を加えた。

(2)  再審請求人は、同年同月八日午後五時五〇分頃、同所において、右ヨノに対し、「俺はどうなつてもよい。ぶち殺してやる。」などと申し向けて、同女の生命、身体に危害を加えるべきことを告知して、同女を脅迫した。

(二)  しかしながら、再審請求人は、前記各被告事件の審理に際し、終始各犯行を否認し続けたように、藤沢哲次郎に対し暴行を加えたこともなく、また、藤沢ヨノに対する脅迫当時、犯行現場に居合わせたこともなかつたものであるところ、昭和三八年一二月三一日、肩書住居地の下宿先自室を大掃除した際、偶然、再審請求人が逮捕以来、その存在を失念していた再審請求人作成の「当用日記」(昭和三七年)と題する日記帳一冊(以下、本件日記帳と略称する。)を発見したが、右日記帳には、昭和三七年一月一日から、再審請求人逮捕の前日、同年一一月一四日まで、再審請求人の日々の行動、本件暴行、脅迫各事件当時の行動が各記録してあり、その記載内容を検討すると、

(1)  本件暴行事件当日の昭和三七年一一月一日の日記欄には、再審請求人は、仕事を終つて、被害者宅(藤沢ヨノ方)へ娘を見に行き、午後六時三〇分頃到着、少し歩き、再び行つたが娘は見えず、そこへ父(藤沢哲次郎)が来た旨の記載があり、もし、右哲次郎に対する暴行沙汰があれば、通常と異る事態であるから、その旨の記載があるべきであるにかかわらず、その記載がないのは、右暴行の事実がないことの証左である。

(2)  本件脅迫事件当日の同年同月八日の日記欄には、再審請求人は、仕事先で、その晩、缶詰とサツマ焼を肴に酒を馳走になり、帰宅したのは、午後六時三〇分頃で、今日は娘(藤沢ヨノ方)に行けなかつた旨の記載があり、再審請求人は、当夜、本件脅迫の犯行現場に行かなかつたことが明らかである。

(三)  以上のように、再審請求人は、本件暴行、脅迫各被告事件につき、再審請求人の無罪を認めるべき明らかな証拠である本件日記帳の昭和三七年一一月一日および同月八日各欄の記載を、あらたに発見したので、刑事訴訟法第四三五条第六号により、再審の請求をする。

(本件再審事由についての判断)

(一)  まず、本件確定記録によると、再審請求人が、本件暴行、脅迫各被告事件につき、昭和三七年一一月一五日逮捕され、同三八年六月七日、盛岡地方裁判所において、有罪判決の言渡を受け、右判決に対する控訴、上告はいずれも棄却され、右第一審判決が確定していること、再審請求人が、右各被告事件の審理に際し、終始、本件各犯行を否認し続けたことは、いずれも明白であり、また再審請求人提出の本件日記帳を精査すると、右日記帳には、昭和三七年一月一日から、再審請求人逮捕の前日同年一一月一四日まで、間断なく、各日記欄に日記の記載があること、右日記帳の本件暴行当日である一一月一日の日記欄には、「今日は桜町のホツプに行ききそ塗をした夕方娘に行つて見たヨノは洗しまいをしていた(六時三〇)それからしこしあるき七時またきて見たが娘は見えなかつたそこに父がきた。」との記載があり、脅迫事件当日である一一月八日の日記欄には、「今日も七久保に行きモルタルをした今日は弘様より二人(以下一字読解不能により不詳)だつてもらつた今晩はお酒をごちそうになつてきたかんじめ一ヶとさつやきであつた家に来たのは六時間四〇分頃である娘には行きかねた。」との記載があり、本件暴行、脅迫各事件当日の日記欄に、いずれも、再審請求人主張の趣旨に沿う記載があることが認められる。

(二) 一般に、いわゆる日記帳の記載は、性質上、記録者の日々の行動事件を、概ね、記録者の主観的、恣意的な選択に基いて記述しているものであり、従つて日日の重要または異常な事象、事態を、すべて、遺脱することなく記述していることを保し難く、更に記録者の失念、誤解等に由来する客観的事実に合致していない記載、または、作為的記載の可能性が全くないものではなく、その記載自体をもつて、記載事実の真実性を担保することが十分でないのが通例であるところ、本件日記帳を精査するも、本件日記帳の各日記欄には、再審請求人の日々の行動、事件などの記載があるが、その記載は、概して簡略であつて、その記載の体裁、内容からみて、各日記欄の記載は、いずれも、必ずしも、再審請求人の日々の行動、事件、重要または異常な事象、事態を、すべて遺脱なく記述したもの、あるいは、十分に客観的事実に合致して記述しているものとは認められないし、更に本件日記帳の記載自体を検討しても、各日記欄の記載の真実性を担保する特段の事情も認められないから、本件日記帳も前記の如き日記帳一般の持つ通有性を具有するものといわなければならない。

以下、右の観点から本件各再審事由を検討する。

(1)  はじめに、本件日記帳の本件暴行事件当日である昭和三七年一一月一日の日記欄の記載につき、検討すると、同日欄の日記には、前述のように、再審請求人主張の趣旨に沿う記載があり、再審請求人の本件暴行については、何らの記載もないのであるが、その記載自体極めて簡略で、右暴行事件当日の再審請求人の行動、事件などを、遂一、具体的かつ詳細に記載し、特に重要または異常な事件、事態などを遺脱することなく記載しているものとは認められず、更に、本件日記帳の他日欄の記載と比較してみても、右暴行事件当日欄の記載が、特に重要または異常な事件を遺脱していないものと認むべき特段の事情も認められない。したがつて、本件日記帳の本件暴行当日の日記欄に、再審請求人が藤沢哲次郎に暴行を加えた旨の記載がないからといつて、その一事をもつて、右暴行の事実が全く無かつたものと認めることができないのみならず、本件確定記録中の証人藤沢哲次郎、藤沢サメの各供述記載部分を綜合すると、再審請求人が本件暴行を働いた事実は明らかであつて、本件確定記録を精査するも、他に、右暴行の認定を覆すべき証拠がないので、本件日記帳の本件暴行当日の日記欄の記載をもつて、右暴行事件につき、再審請求人の無罪を認めるべき明らかな証拠と認めることはできない。

(2)  ついで、本件日記帳の本件脅迫事件当日である昭和三七年一一月八日の日記欄の記載につき、検討すると、同日欄の日記には、前述のように、再審請求人主張の趣旨に沿う記載があり、再審請求人が、本件脅迫犯行当時、犯行現場に居合せなかつた旨明記されているのであるが、その記載自体からみて、右脅迫事件当日の再審請求人の行動、事件などを、必ずしも客観的に記述しているものとは認められず、また本件日記帳の他日欄の記載と比較してみても、右暴行事件当日欄の記載が、特に客観的真実を記述しているものと認むべき特段の事情も認められない。したがつて、本件日記帳の本件脅迫事件当日の記欄に「娘(藤沢ヨノ方)へは行かなかつた。」旨の記載があるからといつて、その記載のみでは、再審請求人が、本件脅迫事件当時、右犯行現場に、真実、居合せなかつたものと認めること、すなわち、再審請求人のアリバイ事実の立証の可能性があるものと認めることができないのみならず、本件確定事件記録中の証人藤沢ヨノ、藤沢サメ、吉田キノの各供述記載部分を綜合すると、再審請求人が、本件脅迫事件当時、右犯行現場に居合せたことが認められる上、右記録中の証人長谷川浩繁、山下召治、森田栄太郎、小峯春吉の各供述記載部分を綜合しても、請求人が、本件脅迫事件犯行当時、右犯行現場に居合せなかつたこと、つまり、再審請求人が、右当日、仕事先で、同僚らとともに、工事の慰労の酒宴に列席し、右犯行時刻とされている時刻頃まで、その席に居たかどうかは、必ずしも明らかでなく、結局、以上の事実を綜合すると、再審請求人が、本件脅迫事件当時、右犯行現場に居合せたものと認めるのが相当であつて、右脅迫事件当日の日記欄の記載をもつて、右脅迫事件につき、再審請求人の無罪を認めるべき明らかな証拠と認めることはできない。

(三)  よつて、再審請求人の本件再審の請求は、いずれも、その理由がないので、刑事訴訟法第四四七条第一項により、いずれも、これを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 安達昌彦 岡田潤 玉川敏夫)

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